ビジュアルの行方

フラメンコギターを思い出しながら弾いている。ラジオでサビーカスの演奏を聴いて、高校時代のギター部で習った記憶を辿っている。指が覚えている。

先日、フランス映画「デリシェ」を見て画面の美しさに引き込まれた。夕食後のテレビは子守唄になっていて大概居眠りしているが、これは一睡もしなかった。

隙のない構図で巧妙なライティング。高解像度のデジタルで完璧な露出補正が施されてる。つまりiPhoneのような画像だ。こんな画像に慣れてしまったら昔のボケボケ映像が耐えられなくなるんじゃないかと心配になる程だ。

今日の午後は雷鳴が轟いて鬱陶しい天気だったから、録画積みの「オフィサー・アンド・スパイ」を見た。

ドレフィス事件をテーマにした、またまた高解像度映像のフランス映画で、オープニングシーンがパリの軍事博物館だった。ここは20年以上も前のことだが三男と一緒にブラブラと所在なく歩いていて立ち寄ったことがある。

ドレフィス事件は高校の教科書にも出てくるが、こういうことだったのか。

よく出来ていた。ポランスキーが監督だったとエンドロールで知る。

橋本龍美の画集が新潟県立近代美術館から届く。

日曜美術館のラストでちょっと紹介されていて、ユニークだな、見に行きたいなと思ったからメールで問い合わせた。丁寧な返答が来て図録が希望なら振り込み用紙を送るという。

届いた書類の振込先は近辺の金融機関で対応できるものでなかったので、面倒だなと日送りにしていたら期限が過ぎた。縁がなかったと諦めていたら「お忘れでは?期限を過ぎても受け付けますよ」とメールが来た。ここまでしてもらったら引っ込みがつかないから、京都に行った時に大きな銀行で手続きを済ました。

紆余曲折、着払いで高くついたけど、このひとの独自性はすごい。地方で育ちアカデミックに毒されなかった作品は、グローバル化という巨大な画一化の中でますますその価値が高まるはずだ。美術大学で学んでパリに遊んだというキャリアの意味は20世紀で終わった。また俺の世代のように欧米の動向に目配りして右顧左眄することも減っていくだろう。古代から現代まで、世界中の表現を並行的に受け入れて評価すること。音楽の世界ではこの方向が強くなってきている。

美術はどうなっていくかな。