「上手」の難しさ

県立美術館で超絶技巧とも言える磯江毅のリアリズム絵画を見た。
100人に一人ぐらいは(何となくのフィーリングだが)生来の写実力に恵まれた人がいる。
サラッと形を写し取れるから「絵がうまい」と評価される。
色感に恵まれた人も同じぐらいいるが、形のように誰もが判断できる訳ではないので浮上しにくい。
ということで、絵の巧拙が写実力で判断されることが多くて、美術大学の実技試験での比重も大きくなっている。
このように低レベルの解釈が現在の美術教育低迷を生んだと考えている俺だから、このタイプの表現は好みではないが、美術大学で学んだが故に再現描写には大きなコンプレックスを持っている。
早弾きに憧れるギター少年のように「そっくりに」描きたかった。
(でも素敵な色を使えるようになりたい、なんて考えたことも無かったのだけど)
ということで、最終日の前日に慌てて見に行ったのだった。
そこで上記のようなことを考えさせられたのだが、久々に常設を見てダリの大作に「なるほどね」と。
ダリも超絶技巧の持ち主だったが、燃えるキリンや歪んだ時計をペンキ画のような手数で描いて世界に知られた。
マグリットも素っ気ない「説明的な」表現だったから大衆にアピールできた。もしネチネチと細密描写に耽っていたら特異な画家として片隅に置かれただろう。
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好天が続いていて、テニスで大汗をかいた。
その後に市内でオペラ鑑賞が控えていたので、昼食を買って工兵橋の緑陰で食事。
このまま眠りたくなる。

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なじみのアステールの大ホールに沈下式のオーケストラボックスがあったとは!
ロンドンのミュージカルで見て以来である。
これをバックに朗々と歌い上げるのだから、すごい快感だろうな。
ティンパニーとハープの表現効果が印象的で、舞台を見ながら映画音楽のことを考えていた。
この30年で映画音楽でオーケストラの使用はとても少なくなっていて、文芸映画でもRadioheadみたいなロックの音楽家が目立っている。
交響曲のコンサートでは意識しなかったが、舞台を背景にすると歌唱やオーケストラの感情に訴えかける表現力は強い。そして深い。
でもこの様式には未来が感じられない。
美術と同じような課題がここにもある。
しかし
楽しさと訴求力、その原点に返れば、まだまだ可能性はあるはずだ。