電信棒は邪魔者か

伝統的建造物群保存地区の矢掛を訪ねる。平日でもあるがひと気が無い。主要な建築物である本陣を訪ねると、待ってましたとばかり解説ボランティアの方が。
まず表通りを見てくれと外に導かれ、右手と左手の景観を較べた感想を求められる。
右手の回路には電柱がない。「予算の都合で半分しか撤去できなかったけども空が見えるようになってスッキリした。」と嬉しそうだ。
「あのーお言葉ですが私には左手の電柱があるほうが良い風景に思えるんですけども。」
「そう言われる方もおられますね。昭和が感じられると言うことで。」
地区の道路は歩道と車道が色と素材を変えてあり、中心部には駐車場やトイレなどが整備されている。
地方再生の掛け声の下、全国で見られる「整備」事業だが「これをやったらお終いよ」である。
生活臭が消えた無人の映画セット。画一的な光景となって独自性も失われる。
倉敷ぐらいに大規模でコンテンツも豊富だとテーマパークとして存続できるが、それでも美観地区を取り囲む地区の俗悪と粗末さに心は冷える。
人々が生きて暮らしてきた蓄積、それが文化だ。