厳と激

この二つの文字はかなりの頻度で使われている。新聞の文中にこの文字が出ないことは稀だろう。

この文字を目にするたびに喉がつかえたように感じる。厳を「はげしい」と読みそうになって「きびしい」に修正しなければならないからだ。こうして並んでいるとどちらが「きびしい」のか「はげしい」のか分からなくなる。

いつごろ、どこでこの混同、混乱が生じたのかわからないが、他にもそんな言葉がある。困と因だ。

困惑をずっと「いんわく」と読んでいた。この違いに気づいたのは50歳前で、心底ぞおっとした。

学生時代はよく読書していた。立命館の文学部に居たこともあるから、文字に関してはいささか自信を持っていたのだが、こういう基本的な読み方などは小学校で学ぶことが多い。

先日、一年生の孫が書き取りの宿題をしていて、「も」を書き付けていた。

「し」を書いてから「こ」の部分を書いている。俺はその逆だ。

五年生の孫は歴史的表記から地名まで、ほとんどの漢字が読めていて、時々俺の言葉を修正する。ほんとかいな?と調べたら孫が正しい。

小学校の時は絵ばかり描いていて、文字を書かなかったからか。

元総理の麻生さんは漢字が読めないと再三バカにされている。まあ、あまり尊敬できる人物ではないがあれは日本語の方が酷いのじゃないかと同情する。

こういう学習の不備を繕っていたら百まで生きても足りないけど、このブログを始めた動機は「伝わる言葉を書く」ことだった。まだ20年にもならない。

最近は個人的なメモ程度の文章しか書いていないから、これではいけませんね。