春はクロガネモチが落葉する。
それが路上に散乱するので毎朝掃き清めなければならない。
さっさっと箒で掃いて集めた落葉が綺麗だなと思う。自然だな、と思う。
何故だろう?路上に落ちているときは混乱を、掃き集めたら自然を感じる。
「人工」の反対は「自然」ではない。「作為」が「自然」の反対語だ。
初夏のような午後、直近の荒谷山へ。
倒木にびっしりと生えた菌類。手にしたストックで剥ぎ取りたくなる。
どうしてこんなに「イヤな感じ」なのだろう?
変なウィルスに罹ったら体内がこんなふうになってしまうのかな。
ヘモグロビンが減少しているのか、いつもよりも息がきれる。
何度も休んでは樹木を眺め、鳥の声を聞く。誰にも会わない。
不動堂の鐘を撞く。音が減衰するにつれて周囲の音(鳥の音)浮かび上がってくる。
隣家の女の子が筍とワラビを持ってきてくれた。
晩御飯のおかずになる。
昨日は近所の知り合いからもらったエンドウ豆と深谷ネギだった。
そのまえは町内の人からもらったセリ、高菜、クレソンなど。
ありがたい。
豊富な野菜をバリバリ食べてる。