賤しい

直進と右折の車が信号の変わり目でちょっと際どいシーンになるのを見た。

その時、右折のセダンを運転していた初老のオッサンが直進のワゴンをにらみつけて、ねっちりした視線で後を追っていた。

自転車で信号待ちをしていた俺は、少しヤクザな雰囲気の男にとても嫌な感じを抱いた、と同時にその男の歪んだ表情が印象に残った。

f:id:mhorio:20191222155206j:plain

もっと歪んで醜くかったし、「賤しい」という言葉もその時に浮かんで、ずいぶん久しぶりというか懐かしさすら感じたほどだ。

思えば中学時代、低能、粗暴、鬼畜のような同級生に何度もいたぶられたものだ。

「信じられないバカがこの世の中には居る」ことを学んだのが中学での最大の収穫だった。ほとんど知的な向上は無かったのじゃないかな。

こういう方と関わらずに生きてこれたのは幸運だったし、これからも無縁でありたいと願う。

f:id:mhorio:20191222161003j:plain

休日はほとんどの時間、机の前に座ってぼおっとして居眠りなどして過ごしている。足元に居座っている老猫に気兼ねして動けない。猫が嫌がるから楽器の練習も少なくなった。

「御飯ですよ」と呼ばれて食卓に行き、飽食してコタツで居眠り。

テニスをしているとき以外に気持ちの張りが無い。

こんなことで生き長らえる価値があるのだろうか?

まあ、明日からの1週間は相当にハードな時間になる。正月休み明けから始まる卒業制作展の諸々をすべて段取りしておかねばならないからだ。

学生たちは美術館の展示よりも卒業パーティの出し物に関心を持っていて、この温度差は年々大きくなっている。

関東では絵画・彫刻以外の美術は美術館で卒業制作を披露しない。それを知ったのは十数年前だったがショックだった。

器と料理として考えれば当然のことだが、もう一度、考えなおしてみるべきだな。