高解像度

作品に使う古めかしい画像を探していて、こういうものを久々に目にした。
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35年から40年前のスナップだ。
密着焼きからのコピーだから滲みが強調されているのだけど、デジタルでは出しにくい味わいだ。
表現とは情報の絞り込み、つまり選択と削減と言ってもよいだろう。
毎年、画素数が増大して来て、最新のテレビは気分が悪くなるほど高い解像度になっている。
これではいかん!と話を進めたい所だが・・・・
以前にここにも書いたセバスチャン・サルガドの写真集が図書館に入った。
大きさがB4に近く、厚みが5cmもあってずっしり重い。
GENESIS」創世記と題され、南極から孤島、アマゾンや極北など秘境の風景、動物、人々の暮らしが極めて高い解像度で写し撮られていて、どのページを開けても視線が画面の奥に引き込まれる。
こんな世界がまだ現代に、この地球に存在しているんだ。
市場原理やネットワーク、車やエアコンなどと関わらずに生きている人たちが居る。
この100年間で殺された何千万もの人たちのことを思うと、文明に対して懐疑的になってくる。
楽しく生きて仲良く暮らせばそれだけでいいのにな。
そんなことを考えさせる力はこの高解像度から生まれているのかも。
情緒を味わうのではなく、現実に存在していることを強く意識させる。
この写真集、7000円もしないので買うべし!なんだけど、大きすぎて納める所が・・・
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昨夕、平和大通りのイルミネーションに孫を連れて。
着用のベストは女房の手編み。
俺が撮る写真の8割近くも孫関連かな。