平和か

恐れていた注射針は、予熱パッドが効いたのか難なく済ませられた。
(肝炎の治療に踏み切った理由のひとつは、週3回の静脈注射が難しくなっていたことだった。)
1時間の安静タイムの間に、初めての検査の時に何を考えていたのかを思い出そうとした。
もう3年も前になる。
確実なのは当時、全く思いもしなかった孫が、いまでは最優先事項になっていることだ。
俺の存在意義も、女房の話し相手、遊び相手がトップになってるのじゃないかな。
3年間で人間は変わる、役割も変わる。
イメージ 1
検査後、近くの平和公園に寄ってみる。
昨日は雨だった。46年ぶりらしい。記念日(次男の誕生日)はいつもギラギラの猛暑だった。

展示を流しながら、あるパネルのひとことに衝撃を受ける。
広島が原爆以前に空襲被害を受けなかったのは、原爆の破壊効果を見極めるための温存だったという。
そんなことを考えて実行した組織が、人間が居たのだ。
佐世保の事件には驚かされたが、同等の残虐性は誰の中にも在るということだろうか。
考え込んでしまう。

イメージ 2
画像はNHK前の合わせ鏡。
強い陽射しの中をゆっくりゆっくり歩きながら、日銀やシャレオを回り、学校関係者の展示を見る。
また、鉄道模型やフィギュアの店を覗いたりと、久々の街歩き。いいものです。