制作室

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自宅で絵を描くというのは50号以上だとまず無理があるのだが、デジタル系に転向してからはスペースの制約が無くなって、どちらかというと雑音のない自室での制作が多くなった。
切ったり貼ったり塗ったりという工作は研究室で、コンピュータ作業は自宅という棲み分けだ。
SOHOという職場の形はデジタル系に向いている。
窓の外の風景、書き出しの合間の楽器、参考書、猫かわいがりなど、家庭ならではの気晴らしがこの種の作業には必要だ。
ただ、極端な運動不足になる。
俺の場合、週に2日以上も自宅に籠ることはないけど、居続ける人は大変だろう。
俺にとっての通勤はリュックにお弁当(かなり大きくて、おやつまで付いている。)をいれて、自転車で走り、それを食べてまた自転車で戻ってくるという繰り返しに過ぎない。
勿論、その間には授業もあれば会議もあるが・・・・・
こういうことを書くと「なんと結構なお仕事ですかね」と言われそうだが、ほとんどの人はそういうパターンで生活しているのではないだろうか?
そうでないと「生活」というものは持続できない。
仕事に出かけ、いつも通りのことをして帰ってくる。
これが生活というものだ。
これが壊れるときが事故であり事件となる。
家庭の主婦が感じる不満には、単調な生活や自分の存在意義への懐疑があるが、仕事に打ち込む人間の実体は家庭の主婦と変わるところは少ない。
そういうことを言うと値打ちが下がるので、さも、大変に価値のあることをしてきたかのように振る舞わないと、家に帰ってビールも飲めない。
こういう報いが定年後にくるのですね。

さてさて、2週後に迫った展示に向けて仕事をしております。
が、その背後はこういうふうにギターやらラケットやら本など
娯楽が山積み。
良いバランスですね。
楽しんでいます、週末。
皆さんも、よい週末を。

机の上の説明をしておきましょう。
ノート
デジタルでも、手で描かないとアイデアがまとまらない。古いタイプなんでしょうね。
それも極太の万年筆で描いてます。
刷毛。
仕事中にはオカキやミカンなど、食べたり、鼻糞ほじくったりしますので、ゴミが机の上に溜まります。
それを掃除するのに刷毛を使っているのです。