葬儀

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土曜日の朝、「いよいよかも・・・」という知らせが入り、急遽、身支度を整えて広島駅へ。
たまたま休みだった三男が車で送ってくれる。
のぞみが出発した9時過ぎ、臨終を知らせるメールが届いた。
空は高く澄んで緑が輝いている。浄土へ旅立つには絶好の陽気だ。
家族の中で俺一人が立ち会えなかったのだが、京都に在住の次男が早々に駆けつけてくれている。

友引が斎場の休日になっているとは知らなかったが、お陰でゆっくりと親族が集まり準備を進められた。
コスト削減の名手でもある兄貴が采配を振るい、妹が親戚への連絡にあたる。孫が雑用をこなす。
チームワークもよろしく順調に式が進行した。
我が家にとって初めての葬式なので、その方法については事前に話し合っていた。
まだ存命中にそのような相談をするのは気まずいものだったが、兄が言った通りにその場になってからでは対応できるものではないということが良くわかった。
パッケージされた内容に従うだけだと非常に理不尽な形と無駄な出費を強いられる。
また坊さんへの謝礼も実に訳がわからないもので、まったく標準がない。
戒名(法名)も数万円から百万円と聞いた。
兄がWEBから自動戒名生成プログラムを見つけてきたので自分たちで作るつもりだったが、
母が探し出してきた寺の住職にズバリ価格を尋ねると驚くほど安かった。
実家の近辺は本願寺に近く小さなお寺さんも多いのだが、この近辺の謝礼相場が日本で一番安いという。
また仏壇仏具の老舗が集中していて町並み保存地区に指定されているぐらいだ。
おれはこんなところで生まれ育ったのだった。
この住職は若くて理想家肌の良い人だった。サイクリングを楽しむというのも我ら兄弟と同じ。

お供えは花のみと指定したので葬儀の場はおびただしい花々に囲まれた。その一部を持ち帰ったのがこの画像だ。

式の翌日は墓地が既に購入してある東福寺を訪れる。
紅葉の名所だけあって墓地への道も紅葉がいっぱい。
墓碑銘は孫が書くことになり、至れり尽くせりの葬儀となった。
俺が言うのも何だが、オヤジは俺とは似ても似つかぬ良い風貌の知的な人間で、8人の孫たちから慕われていた。
その生涯については兄が葬儀の挨拶で見事に語ってくれたように苦難の連続だったけれども、晩年の30年間はとても幸福だったはずだ。
我々子供たちも孝行を尽くしたので、思い残すことは無い。
と、軽い気持ちで帰路についたのだが、新幹線のホームに立って夕日を眺めた時、どっと悲しさがこみ上げ不覚にも涙をこぼしてしまった。

これから・・・なのかもしれないな。