裏表

イメージ 1

少しずつ、旅行の写真をプリントしている。

前回と同様の対比で見てもらおう。
もちろん上の光景を期待しての旅だったが90%は下のような風景に包囲されていた。
水郷風景でも、そのなかにカメラを持つ人を映し込ませないようにすることは不可能である。
(メガネ橋が上で切れて無理な構図になっているのは、そのためだ。)
それは残された風景という次元を越えて、カサカサの現代の慰安として囲われたゲットーであり、
そこで写真を撮ることが屈辱的な行為と感じられた。

何故だろう?
バンコクの水上マーケットだって同じような構造の上に成立しているのだが、その周囲は広大なヤシの森(畑なんだけど)だった。
しかし中国は違う。
無機的、画一的、均質、大量といった現代社会を形容する常套句が、そのまま形になって存在していた。
しかも無人だ。こんなものが見渡す限り広がっている。

このショックは、じわじわと効いてきそうだな。