Birthday

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誕生日を祝う。
こういう習慣はいつごろ定着したのだろう?
親の世代では誕生日も結婚記念日も、あまり気に留めることはなかったようだ。
時代も暮らしもそれどころじゃなかったけれど、物事の節目はすべて正月で区切られていたから、個人的な誕生日で歳を重ねるというようには思わなかったのじゃないかな。
農村共同体を基盤として生きていた時代の智恵というものだ。
数え歳というカウント法が子供の時には納得できなかったけど、今ではこういうのもアリだなと思う。
反対にやたらと誕生日のお祝いにこだわるアメリカンな風習に疑問を抱く。
「誰からも祝ってもらえなかった」「パーティの参加者は数名だった」ということで激しく落ち込んでいくなんて、愚かなことだ。
そして寂しいことだ。
そういう考え方が、寂しい。

なんて事を言えるのも、自分が人間関係に恵まれているからだろう。
昨日は卒業生から可愛い花束とケーキを頂いた。
夕刻には女房と映画へ。
なんとショッピングモールのレストランで夕食。(ディズニーランドと同様に馬鹿にしていたけど)
映画は石油業界と国家の癒着を描いた「シリアナ
凄まじいものでした。

帰宅後に画像のような食卓でワイン。
こういうささやかでマトモなことは家でないと無理ですね。