光さす

久々の陽光が射す、今日は町内清掃日だ。

今回は女房に出てもらう。彼女は俺の数十倍の人間関係を地域に持っていて、今や俺は女房の亭主であるというポジションでしかない。

女房が掃除に出ている間に、錆び付いた古い秤を磨いて塗装する。

日用品から楽器まで、いろんなものを修理している。楽しい。修理屋になりたい。

Fixer(修理屋)という映画に主演していたアラン・アーキンが亡くなった。

知っている俳優や音楽家はみんな老齢だ。それが不思議に感じる。

 

今日もテニスに出かける。もう生活の中心だ。そのテニスだって女房のサポートがなければどこまでやれるか・・・

さすがに昨日の疲れが残ってあまり良いプレーはできなかったが汗だけはしっかりと流した。シャワーを浴びて横になればもう何も要らないという気分になる。

これがスポーツの快楽だ。

京都の南北通り数え歌を覚えようと書いてみる。(途中で何度も脱線しつつ)

書き写すことが勉強だったな。そして覚えることが。

ウェブやAIで学習の意味が変わろうとしている。記憶と継承が優先になっている学習が次にどのような形に変化するのだろう?

もう記憶は絶望的だが書き写す快楽はますます膨らんでいる。