旅の計画

二日後に国東から臼杵阿蘇を回る車での旅に出る。

天候のことやルート、道路の状態などをチェックして大まかな旅程を立てたいので、ストリートビューを使うと、もうほとんど行ってきたような気分になる。

移動の所要時間には1.5倍をかけておく。

フェリーを使うから乗船時間に合わせるのがプレッシャーだ。初日の朝は5時前の出発になる。雨になりそうだから耐水性の登山ウェアや靴、杖もいるな。車だからガンガン積み込んでやろう。

これを弾みにして北海道にも行ってみたい。

 

無駄に生きてます

ここは出町柳だから街中だけど、こんな風景がある。

出町には安くて美味しい唐揚げ店があるから必ずといって良いほど足を運んでいる。

京都に住んでもいいなと思うけど、実家周辺は住宅地という環境ではなくなってしまった。しかし月に一度という別荘感覚はいい刺激になっている。

それはともかくも、今回は富岡鉄斎の展示も見た。

向かいの美術館では村上隆が派手にやってるが俺の趣味ではない。

雪舟の流れでもあるが、昔から「万巻の書を読み、千里の道を行く」を銘としていたことが気になっていて、硬派の明治人をイメージしていた人である。

実際は柔の人で、なぜ鉄斎なんて硬い名前にしただろう?

京都の旧家の「ええとこのぼん」である。京都生まれの著名人に多いタイプだが、基本が道楽だから、鋭く切り裂くとか氷結する断崖を登るような厳しい表現ではない。

こういうものを好ましく感じるなんて若い頃には考えられなかったことだ。

歳を重ねて、無駄な努力の不毛と悲劇を見てきた。

自分の星に従って無理せずに生きる。努力は資本主義の罠だ。

でも人類がやってきたことは、「無駄な努力の悲喜劇」なのかもしれない。

今日もテニスで無駄に走り回ってきたのだけれど・・・・

 

 

琵琶湖でサイクリング

昨夜も母は深夜に朝食を準備したり、1時半だから寝るように言っても聞かずテレビガンガン。

好きなように生きて元気なのだから自分のリズムでやれば良いのだけど、付き合ってる方はたまらない。だから天気が良くなり黄砂花粉も少しましになりそうと聞くと出かけたくなる。

無難に桂川を八条から松尾、嵐山と上がって清涼寺そして・・・というルートか、琵琶湖西岸のサイクリングかと迷う。

実は前から湖西は意識していたのだが輪行に尻込みしていたのだ。

自転車を分解してバッグに入れると鉄道に乗れる。これを輪行と呼ぶ。サイクリング部の顧問だったし、子供たちとの旅行でも再三この輪行を使っていた。

ただ10kg以上のかさ張るバッグを肩にかけて駅の中を歩くのはかなりしんどい。でも今やっておかないとと気合を入れた。

琵琶湖は淡水で荒波も無いから、なだらかに水面とつながる小道を走ることができる。

コンクリートで固められた海岸では見られない風景に和む。

向こうに見える比良山には小学校の時、美術の先生に連れられて登った。

泳ぎに行くといえば、まず琵琶湖だったから、大津から船で来たこともある。

昔懐かしい馴染みの風景と言いたいが、なにしろ60年以上前のことだ。その間に日本はすっかり変わっている。

ここは良いな、というポイントに必ず白人系のカップルか家族が居た。こんな所までと呆れてしまう。民泊の料金が急に高くなったのはこれか。

平日にのんびり遊べる日本人はいないのか?

浜に面した道沿いにはずっと別荘風の家が並んでいるが、こんなロスアンジェルスみたいな光景もあってゲンナリさせられる。リゾートは嫌いだ。

リゾート=金持ちの道楽、あるいは大胆な消費。

洒落た服装で高級車に乗り、傍の美女の肩を抱く。自転車で走りながらそんな自分を想像してみる。まず似合わないので笑ってしまう。

でも、いま俺の日常生活はリゾートみたいなものだ。金は使わないけど。

浜辺に座って手作りの卵サンドを食べた。母はもう料理しないから食材を残せない。野菜ならいくらでも食べてしまえるけど、10個単位で売られる卵はその調節が難しい。ゆで卵にして持ち帰るしかない。

ぼおっと波を眺めながらサンドを食べていたら、鳶に襲われた。

幸いサンドは取られなかったが右手のひらに痛み。爪を立てられたか。砂利を掴んで投げつけてやるが当然に届かない。なめられたもんだ。

近江舞子を過ぎたあたりから風が強くなってきたので引き返す。

往復で30kmも走っていないし高低差もない楽なサイクリングだったから、女房も一緒に走れるだろう。輪行の手間だけだ。しかし京都駅で組み立ててるときにチェーンが絡んで手が真っ黒になってしまった。そういえば手袋は必須だった。

琵琶湖一周を目標にしてもいいな。これは実現可能だ。できれば早いうちに。

雪舟

最近、何事にも消極的になっているが、今回の京都行きも、面倒だな行きたくないなと言うモードだった。だから国立博物館で開いたばかりの雪舟展も半ば義務的に出かけたのだけど、第1室でガーンと来た。清新で伸びやかな筆致、強いコントラスト。水墨画に在りがちな形式的、観念的な硬さが無い。

室町時代禅宗に付随した水墨画は先端的なアートだった。本場の中国で学んだ雪舟はその技を移入しただけでなく日本の風光を描いた。

その絵から「自分の眼で見て描いたんだな」と伝わる。そのライブな筆づかいが快い。

雪舟等伯が続くが次第に硬直化して行き、活きいきした風景画は広重まで待たねばならない。

今回の展示では因襲化した水墨の見直しも試みられていて、久能山から見た富士が何点か並ぶ。

江戸末期の画家、蕭白の技巧には圧倒された。

 

戦前まで絵を学ぶことは模写だった。自由画の流れに沈んでしまったが、時代の流行を模写するようになっただけだ。音楽学習と同じ事は少なくない。真似るは学ぶ事だと言われるように、発見や理解にとても有効だ。

という事で、帰宅後、早速に描いてみた。

 

郵便屋さんが転んだ

郵便屋さんが転んだ。

外から俺の名前を呼ぶ声がするので窓の外を見ると郵便配達のバイクがひっくり返っていた。起こしあげるのを手伝ったが重くて動かない。幸に向かいの若いお父さんが在宅していたので声をかけ、一緒に引き起こした。荷物も散乱したのでまとめ直しも手伝う。

配達人は俺以上に小柄な人だったけど、前後に積まれた荷物の多さ、重さに驚いた。

普段何気なく見ている日常的風景である郵便配達が、実際は大変厳しいものだった。行政と市民を繋ぐ必須の媒体だけど、これが壊れたら大混乱になるだろう。

排除しない、否定しない。

友人が宿泊したので、久々にキッシュやアヒージョ、山菜炊き込みなどご馳走を食べながら雑談。実年齢よりも20年近く若い風貌を誇っていた彼にも、あちこちに綻びが見えてきた。話題に病気が出てくるなんて考えられなかったことだが、同窓生だった坂本龍一が亡くなったことも響いているのかもしれない。

翌日はテニスの後、街に出てコンサートへ。

予想外の人出でパーキングは川向かいになったので、滅多に歩かない相生橋で観光客気分を味わう。

原爆ドームに市内電車

新しいサッカースタジアムに広い川。広島、綺麗なところだな。

 

広島楽友協会のコンサートは啓発と愛好者の拡大を目標にしているので、ポピュラーな選曲が多い。プログラムを見て「これは寝るな」と思っていたが、案の定。

ふうっと眠りに落ちるときに瞬間的に夢を見る。それが何度もあって快い。

ただ、ベートーヴェンの運命はビリっと来た。これは弦楽合奏用に指揮者のH氏が編曲していてオーケストラバージョンではない。

俺は弦楽四重奏ベートーヴェンは好きだが交響曲は苦手だ。素描と色彩に例えてもいいかもしれない。ストレートに形(メッセージ)が伝わる。

やっぱりベートーヴェンはアート志向だ。おもねりが無い。

チャイコフスキーは豪華な食事という感じ。ほう、次はこう来るか。でも俺は美食家ではないし。

指揮と語りの若いH氏はやり過ぎぐらいに「大衆迎合」に徹して奮闘していた。

芸術はそんなものじゃない事ぐらい彼も重々承知だろう。でも大衆文化の時代だ。ブルジョアと西欧への憧れに支えられてきたクラシック音楽が、この先も生き残るには相当な意識改革が必要だ。若い音楽家はもうクラシックとかジャズ、ポピュラーといった区別をしていない。何でもやってしまうし何でもできる。

H氏にはちょっと呆れたが、さすが若さの勢いだな。

排除しない、否定しない。これがこれからの基本になるだろう。

明日から京都だ。

 

 

 

ヤブツバキ コシアブラ

不要なメールを削除しながら来週の京都行き予約確認メールを見たら、帰りが26日になっている。「ええっ!一週間、間違っている。」

予約期限ギリギリだったから慌ててキャンセルして取り直す。さすがに希望の時間帯は売りきれていて、帰宅が遅くなるのは嫌だから2割高でも「のぞみ」にするかと思ったらその枠が消えている。

この数年、コロナで乗客が減ったこともあり、割引切符が次々と廃止されていて、価格至上主義者の俺はとても悲しい。

価格といえば、美術館の値上がりはどういうことだ?急に5割ほど高くなってきた。

富裕層しか行かないだろうと思ってるんじゃないだろうな。

2000円だと引き返したくなる。

これまでは美術関係者として「まあ見ておこうか」と思っていたけれど、鑑賞から得られるものを天秤にかけて考えると、俺のボーダーは1500円だ。

京都の国博で始まる「雪舟」の前売りがその夜で期限だった。1800円が1600円になるが、山口市雪舟のアトリエや庭を見たし、毛利博物館で複製をしっかり拝見しているし、国博の常設で天橋立図も見ている。でもなあ・・・・と迷って結局購入。

でもWebでの購入はかなり面倒だった。

土曜日の午前はコシアブラ採集へ。夕方、友人が泊まりに来るので、宇品のワカメとともに海の幸山の幸でもてなそうというわけだ。

しかし芽はまだ小さくて3日後から一週間後がいいかな。今年は遅い。来年のためにこれを書いておこう。

午後は暑いほどの陽気になった。S大でテニス。強風の中でハードな球が行き交う。合わせて逃げる俺の打球では通用しにくい。さらに磨かねばならんな。

9人のメンバーの中で常勤教員は一人だけになった。後に続く若い人が出てこない。

いつまで続くか。こういうことが日本中で起こっている。