3Dプリンタと広隆寺

「美術教育とテクノロジー」という日頃から気にかかっていたテーマで研究会が開かれるというので大阪に出かけた。会場もテーマにふさわしく「あべのハルカス」25階である。
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母校の美術教育研究会が主催したもので、ほぼ固定メンバーで運営されているようだ。
もちろん顔見知りも何人か。つまり平均年齢はかなり高い。
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窓の外はこのような景観。思いは彼方の山並みに向かう。
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20万円以下で購入できる素朴なセット。
印刷用のプリンタが高さ方向にも動き、先端にグリューガンが付いていると思えばいい。
メンテナンスに時間と費用がかかりそうだ。2Dのプリンタでも煩わしいのにな。
マシンそのものよりも、この導入で必要になることが美術を拡張させ、未来の展望を開くという点から支持したい。
つまり中学から技術科と分離して失った工作のパートを復権させたいのだ。
数学や国語だって、独立することで視野と可能性を狭めていると思う。

基調講演を行った若い芸大教員の明晰さと誠実さに感銘。
主催した会の中心人物の考え方にも共感。
参加者の意見も想定内であったが、やはり手仕事礼賛、古き良き時代への郷愁がいっぱい。
どうやら美術教育は一度滅んでから次の形が生まれるのを待つことになるのか?

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翌日、目立った展覧会も無かったので広隆寺の仏さんを拝みに行く。
写真はその手前の蚕ノ社の三柱鳥居。
講堂の阿弥陀如来をしっかり拝んでから宝物館に入ると、最初の十二神将から居場所を失った失職者のように感じて落ち着かない。
それにしても沢山の収蔵品だ。その中央にあの弥勒菩薩が座っている。
そんな中で3Dプリンタについて考えてみる。
お話しにならないほど低次元なレベルでの造形であることは確かだ。
でもここに並んでいる彫像群は宗教が最先端の文化で、国を築く原動力だった頃の産物だ。
その時代にしか作れないものがある。
どんなに幼稚なものだとしても、出発点だと考えて現在を肯定していくしかない。

帰り道に立ち寄った京都芸大のサテライトギャラリーで、女性4人の現代表現を見て、ホッとする。
この振幅が京都の魅力だね。

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振幅と言えば、その後で孫の顔を見にいったのだが、まだ2歳児なのに凄い振幅でブランコに揺られていて、それも40分以上、飽きることがない。
このエネルギーを少しもらって帰りました。