午後の読書

7日間続く注射を受けるために、朝9時までに市内中心部にある病院まで来るようにと言われたときは、渋滞と駐車場の混雑を煩わしく思った。電車では人がいっぱいだから車でしか動けない。
仕方ないので、7時過ぎに出れば何とか着けるだろうと早めに出かけたら、この二日間とも50分少しで到着できたばかりかパーキングもたっぷり空いていた。
これなら日中と大差は無い。
これは意外だ。
だいたい、俺の判断は10数年前のデータをベースにしているのだが、どういう変化が起こったのだろう?
おそらく、最大の理由は人口比率の変化かも。なにしろ60歳以上が30%にもなっている。関西の私鉄は本数を削減させているというし、ニュータウンの小学校が廃校になったりしている。
こんなところで時代の変化を感じている。ずれてるな。
 
待ち時間に村上春樹の「雨天炎天」ギリシャ・トルコ紀行を読む。水の描写がうまい。
ずいぶん記述内容が先日、現地で見聞したことと違うなと思いながら読み進めていると、ソウル・オリンピック中継について書かれていた。
これっていつだったな?
女房の答えは12年前、俺はもう一つ前の16年前。
ガーン!正解は24年前。我々も村上春樹30歳代だ。
 
朝から頭が重く、真夏の陽気になったので、涼しい奥の間で寝転がって本の続きを読む。
夏のジワーンとした午後、暑さをやり過ごすためもあったのだが、よく読書していた。灰色の思念の海に沈んだような気分と共に、近所の図書館の狭い読書室が思い出される。
図書館の窓からは西日を浴びて轟音と共に走り去る、黒々として憂鬱な塊(市内電車)が見えた。
その市電は今、広島市内で見ることができる。
背景が一変した市電の表情は、ずいぶんと明るく快活になっている。
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