Hi & Low

午後の4時過ぎでも、陽光は頼りなく弱々しい。
それでも学内や街路樹が、傾いた光のスポットライトを浴びている様はとても美しい。
市内の紅葉はこの1週間が盛りのようだ。
人生の秋も、このように美しくありたいものだが、そうはいかないのは何故だろう?
などと思っていると、突然に風が乱れて雨が降り始めた。
雨宿りに滅多と入らないスーパーに足を運ぶと、ほとんど店内は昔と変わらず(我が職場同様に)レジの女性も古びて「哀しさ」が漂っている。
しかし、USBメモリ2Gbが748円!カメラ用の三脚が1480円!
一桁違う。
しかし、こういう道具を使ったからといって、作品の質が低下するとは限らない。
ヨーロッパのアートなんかピカピカよりもボロボロが多いしなあ。
でも安けないのと古臭いのとはだいぶ違うけど。
こういうお店のチラシと高級百貨店のものとでは雲泥の差があるが、今日のCG演習の授業では普通のスーパーのチラシを教材にした。
グラフィックデザインの国際賞を取るようなものは強いオリジナリティと高いセンスはあるが、技術的にはさほどでもないというものが多い。反対にチラシは安売り商品になるほど画一的でダサいけど、驚嘆すべき技術が使われている。
そして学生たちが職業として従事するのは99%後者の制作である。
大学教員(自分)が接している情報は前者のもので、後者を作成する技術も怪しいものである。
それでも平凡なチラシを教材にした。
何故なら、こういう上下、高低という区別自体が時代遅れだからだ。
高級ブランドの広告とディスカウントのチラシを同列で眺める視線こそ現代だろう。

ただ、哀しいことに最近の学生さんはHiへの憧れも幻想も持っていない。この振幅が創造の源泉になるのだが、一方の極が視野に無い。一流を求める心が皆無なのだ。

帰宅して一杯やりながらちょっと音楽を聴きたくなり、ベートーベンの弦楽四重奏を聴く。
迎合を拒否した孤高のサウンドはいつも新鮮だ。またミシシッピのデルタでぼろいギター一本としわがれ声のブルースも心を打つ。
Hi & Low と言ったがLowも無くなって、ぼんやりした灰色だけになってしまったのだろうか。