絵馬

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パソコンが増えたが、それを置くテーブルは購入できなかった。
そこで天板を買い、自分で塗装して間に合わせる。その天板がさらに2枚必要になったので、幅広長尺を揃えている唯一のホームセンターへと通勤ルートを大きく外れてペダルを漕いだ。
途上にある宇那木神社で自転車を止め、階段を登ってみると、こんもりした社叢に囲まれた社殿に、とてもたくさんの絵馬が掛けられていた。
プリミティブなものから達者なものまで、最近のものから江戸時代までと多彩な絵馬でいっぱいだ。
階段下で挨拶を交わしたご老人に感想を漏らすと、戦後マッカーサーの指令で絵馬の焼却が命じられたが、床下に隠して難を逃れたと言う。
進駐軍神道を潰そうとしたのだ。バカな神主は言うなりになって絵馬を燃やしたが・・・」と、どうもその神社の神主らしい御老体は熱っぽく語る。
最近のオレは右傾化しているので日露戦争の絵馬など見ると、以前には存在していた「日本人の気迫」に圧倒される。
それにしても、こういう話は初めて聞いた。
靖国を考える上でも鍵になるだろう。
この付近は古い日本というか農村の面影がしっかり残っている。
こういう空間が都市の中にもあったはずだが、空襲でほとんど消滅してしまった。これはとても大きな間違いで将来にわたって悪影響を及ぼすだろう。
日本史では外国に敗れるという経験が無かった。もちろんそれはとても良い事だが引き際を判断できなかったのだとか、考えていて
我々世代の風景破壊、環境破壊は空襲どころではないぞと思い直す。

創造と破壊は裏表だが、早々に破壊されることを前提にして、継続可能なものを作ってこなかった現代。
あ、こういう思考の行き着く先は・・・怖いぞ。
現実的に解決しないとね。

でも、「現実」の意味が国や地域でぜんぜん違うんだよな。