木陰が快い初夏

昨日は卒業生(画家として成功している稀有な方)を講師に招いての特別授業が比治山であり、クラス担当だったTさんと実習担当だった俺が聴講。

すぐ前に座っていた学生と服装が似ていたから周りの学生たちになんやかんやと言われて2ショット。双方ともスカーフでホモの信号ですな。

大学に近い牛田山の山荘で昼食と散策、雑談。ゆっくりと。

七十男と30年前の卒業生が現在について会話する。

その後、市内のギャラリーでアニメーションやスケッチの展示を見て、山越えでバイクを走らせて帰る。

朝から針金工作。家に居続けるべきで無いと広域公園へ。壁打ちを少ししてアスレチック。といっても緑陰でストレッチしているだけ。強い日差しで散歩の人もまばら。

世界の何処にでもある平凡な公園。並木と草地の涼やかな木陰。風が小枝を揺らし、葉の擦れ合う音が聞こえるだけ。

俺がこの世から消えても、当然にこうして世界は続いて行くのだけど、いまこの瞬間を感じているのは、どういうことなんだろう。

何千年という時間の中で繰り返されて来た答えのない疑問。

この公園で療養中に再々散歩していた。ようやく歩き始めたばかりの孫が転んだ緩やかな傾斜の草地やドングリをポケットいっぱいにしていた樫の木。

ほとんど変化は無い。

その孫がひと月ぶりにやってきた。今日はひとりで。まるまる2週間、学校を休んでいて退屈していたようで、レゴ・マインドストームで一気に複雑な装置を組み立てる。

夕食時もマニアックなクイズの連発で笑い呆れさせられた。

この子も一時は40度近い発熱だったがコロナの後遺症状は無いようだ。やれやれ、と思ったら来週はこの子の弟の誕生日だ。