できないことと、できること

午後から雨だと雨雲レーダーが表示している。明日も期待できないから少しでも運動しておこうと広域公園で壁打ちテニス。

毎度のことだが「軽く小さく打つ」ことがフォアハンドでできない。今日は特にひどかった。10球ほど強打すると修正できるのだけど、始めは全く制御できなくて自分でも呆れる、情けなくなる。

これが女房には理解できない。ふざけていると思われてる。

体育の成績は悲惨なものだったから当然だけど、俺にとってスポーツの「普通」は垣根がとても高い。

「こんな簡単なことが何故できないの?」という反応をついしてしまう。でもそれは封じることができない。自分が考えもしなかったことは理解できないし、その前に気づきもしない。

教育の中で見過ごせない問題だが、効率から見れば、これを改善するよりも、できることを伸ばすべきだろう。2、3歳ごろから差は歴然と在る。

上手な人と練習してると上手くなれるから、指導者の能力は高い方が良い。できる人が教師やコーチになるのは当然だ。

それにしても教える方法の多様なこと。YOUTUBEを教材に、バイオリン、ピアノ、テニスといろんな練習をしているので考えさせられる。

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午後は予報に反してギラリと晴れた。

植物園の散歩、無印での買い物、本屋で立ち読みとか思いつくけど、感染拡大の行方が少しは見えるまでおとなしくしていようと、自転車で近隣のスケッチ。

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これはすぐ近くのスポーツセンター、コロナで休館中。

墨で描き、デジタル化してタブレットで彩色した。蒸し暑くて蚊も多いから15分が限度だな。こんなことは簡単にできる。小学校1年の時以来の夏休み絵日記だ。