ピーターラビットで考えたこと

すっかり真夏のような午後、大学から近い牛田公園で女房と落ち合ってバラ園を歩いた。
絵になるバラ、絵の参考になるバラの写真を意識する。
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その後、ひろしま美術館の「ピーターラビットベアトリクス・ポッター展」へ。
平日の昼間、4時前だからがら空きだろうとの予想は大はずれ、中高年の女性でいっぱいだ。
おなじみの絵本の原画は、小さくて異常に細密。
水彩とはいえ、しっかり塗り込められているから、極細で腰の強い筆を使っていたのだろう。
残念ながら本人が使った画材の展示は無い。
解説パネルを読むと、父親がラファエル前派の画家ミレーと懇意だったこと に加えて、弟と一緒に動物の死体から骨格標本を作っていたという記述があった。
裕福な家庭でお嬢様として厳格に教育されていた環境でこんな行動は我々の常識では考えられないことだ
でもロンドンの自然史博物館の展示を思い出すとビクトリア時代を時代を生きた人々のメンタリティーが推測される。
博物学全盛のあの時代、収集、分類を支えた観察が重要視されていたのだろう。必要以上と思われるラファエル前派の細密な表現も納得できる。

実物に封じ込められた時代の空気。印刷物からはこの密度は感じ取れない。
やっぱり本物に触れるのはいいものだ。

スケッチブックはそれなりのヤツレがあって(これが洒脱で良い) 100年近い時間を感じさせるが
原画は全く退色が見られず先月に描かれたかのようだ。
いくら上質の紙を使ったとしても・・・あり得ないのだが。