節分にカメラが壊れた。

ズシリと重い一眼レフカメラ。作品の記録やコマ撮り制作には必須だが、大きくて重いから旅行では使っていない。

でも近所をうろつく時にこいつを肩に掛けていると、いかにも被写体を探してるという感じが出るから、「変なジジイ」と怪しまれずに済むような気がしてくる。実際に「撮りますよ」という前向きな意欲も出て来る。

昨日もこいつを持って近所を1時間少々ぶらついていたのだが、それが今日、メニューを触っていたらプツッと暗くなって、ハイ、それまでよ・・・。

どうも電源が壊れたようだが、修理対象機種から外れているから買い替えを考えた方が良さそうだ。

在職中に何度もこういうトラブルに遭遇してカメラ屋で中古を買っている。デジタル以前にはこんな事は少なかった。手元に50年前のNikon Fがあるが、バリバリ使える。

電池を使わず、自分で修理できるから戦場カメラマンが愛用した。

車だって同じことが言える。電気製品も便利で快適になったけど脆くて修理できない。

歩いて行ける範囲で衣食住がまかなえていた70年前を知っている。

現代、危ないぞ。

夕方、孫たちがやってきた。

三十三間堂二十八部衆を描いた紙が机上にあったから、それで鬼の面を作る。

我ながら不気味である。近頃、悪くなって手に負えない三番目もこれには心底怯えていた。今年も鬼役になっていっぱい豆攻撃を受ける。本当に鬼になるかな。

孫が帰った後の静寂と安らぎ、これが嬉しいから止められない。

次男からも豆まきの動画が送られてきた。歩き始めたばかりの三番目が真似をして早くも豆を投げている。まだ誕生日も来ていないのに、恐ろしいな。