作品を見た

招待いただいた院展は美術館でなくデパートで開催されていた。販売に直結する効果が期待できるからだろう。

抵抗なく日本の住宅にフィットする作風であり、現代への対応も試みられている。

風景中心のモチーフは基本的に個人の心境吐露ではないので涼やかだけど、制御(或いは指導)が行き届いて枠からハミ出す活気は無い。はっきりと個人の考えを表さない日本的なスタンスなのか。

帰宅して招待状が送られてきた封筒を見ると、切手がさきほど見てきた絵だ。

すごいなあ、切手になるなんて、と感心したけど、在り得ない話なので調べてみると、郵政省がこういうサービスをしていた。ちょっといいな。

絵は井の頭公園の池に揺らぐ水草に来迎図を感じたという意表を突く発想で描かれている。研修旅行の学生引率で自主行動中の暇つぶしに、井の頭公園でスケッチしたり居眠りしたことが何度かある。作者は吉祥寺にお住まいだから朝夕にはこういう瞬間を目にされるのかもしれない。

並木通りの画廊で毎年開かれているT氏の個展。駅伝が開かれるこの時期にはいつも見せてもらっている。はっきり自分のスタイルを持っておられる画家だが、いつも新鮮な印象を与えられる。

この数日「新鮮さ」について思うところがあったので、そういう感想を申し上げた。

昨年見たリヒターの作品について話したら、彼は鉛筆画で使われている画材や技法も既にリサーチしていて、さすがと唸らされた。

路上のゴミなどを巧みに作品化するなど、広島では共鳴できる数少ない画家だ。

公募系の画家(ほとんどが教員だけど)は事務局長みたいな人が多くて話が合わない。先方も俺のように転々と作風を変えてデジタルに辿り着くような人間は不愉快らしい。

もともと友人(女性は別として)と遊ぶことが無かった人間なのでどうでもいいけど。

でも、共感できる人との会話は楽しいものだ。ありがたいことです。