純文学とか純喫茶という言葉を今時の若い人は知らないだろう。

純音楽とか純美術という言い方がされていないのは歴史的な経緯の有無だろうけど、そういものがあってもいい。池に小石を投げ入れてその余韻に3分間あまり浸る。空を流れる雲を1時間眺める。「純」というとそんな感じだ。

では純の反対語は何だろう?不純は別方向に行ってしまうから却下するとして、汚、濁、混が浮かぶが、やはり雑で決まりか。

雑喫茶で雑音楽、いいねえ。ジャズ喫茶でジャズみたいだけど、そういうところなら行ってみたい。雑文学、雑美術、どれもそそられる。

俺はやっぱり「雑」だ、とふと思ったけど冷静に考えるとかなり「純」への志向が強くて壁になっているようだ。「雑」のたくましさが必要だ。

 

純愛というのも若い人は知らんかな?と調べてみて驚いた。今世紀初頭に純愛ブームがあったという。全然知らんかった。そのブームのルーツが俺の頭の中の純愛らしい。さすが70代だな。

雑愛というものがあるとしたら、どんなものかなあ。

去年も来ている井仁の棚田。もう稲刈りはほとんど済んでいた。

「名を呼ぶ歓び 名を呼ばれる歓び」とある。浄土真宗の寺。