「未だかつて経験したことがないような・・・・」とか「31年前の19号台風並みの・・」というような言葉が並んで、いったいどうなるんかいな?と思っていたら何ということもない。
被害も出ているし実際に910hpという数値からも気象庁を責める人は少ないと思うけど、実際に31年前の19号台風を体験した者にとっては不満である。
今の家に引っ越して来た1ヶ月後にやって来た台風は強烈だった。周囲に家がなくてまともに南風が吹き付け、窓ガラスはたわんだ。家族を北側の洋間に寝かせて、俺と長男が2階でもしもに備えようとしていた、というか二人とも物見遊山の怖いもの見たさで内心はワクワク。でも購入したばかりの家が風で歪み、吹き飛ばされそうになるのは嫌な気分でもあった。
市内では大木が倒れたり、大きな被害が出ていた。瀬戸内の海岸線も南側は何箇所も削り取られて通行止に。
今回、そんな思い出に残るような災害がなかったことは有難いことであったが、もう少し表現に気を配ってほしいものだ。
これを見て、50年ほど前、和田山の祭りに似顔絵のバイトで来たことを思い出した。
漫画をやってる若者と並んで描いたのだが、彼は墨でササっと記号的に描き、少しだけ特徴を付け加えてこなしていく。一方、僕の方はリアルを目指そうと凝視してジワジワ描いていく。漫画家の数倍の時間を費やして出来上がったものは沈鬱に歪んだ人影で、誰も嬉しそうな顔をしない。
幼児を描いたら梅干しみたいになって、さすがに描き直させてもらったけどムッとした母親の顔が忘れられない。
絵とは何かを考える良い体験になったが、当時の和田山は随分とにぎやかで活気があった。昼前なのに人影もない。こんな町が全国で増えている。あの時に僕が描いた幼児は今50歳代になっていて、じわじわと梅干しに近づいているのかも。
9月に誕生日が多いことは前にも書いた。我が家の孫二人と同じ月に生まれた知人の娘も他人とは思えないのでメッセージを送っている。
何となくこんなものになってしまったが、まあいいか。
絵の具を塗った紙から、貼り絵やこういう映像のパーツを作って一日を過ごす。
漫画を読んだり映画を見たり楽器を弾いたり、雨に降りこめられるといろんな事ができる。台風に感謝するべきかな?