この頃は毎日、硯で墨をすって筆で遊んでいる。
七十の手習いだなと「手習い」を調べてみると「習字」と「心に浮かぶままに古歌などを書き記すこと」という意味があった。
まさに俺が毎日やっていること。100%の手習いをしているわけだ。
ネット検索では江戸時代の寺小屋などの説明もある。
子どもの頃、習字と算盤を習いに行かされた。数回も行かずに止めてしまったのだが、どんな苦情や言い訳を母親に言ったのだろう?どちらの教室も畳の上に細長い座卓がズラッと並んで、土間は子供達の靴でいっぱいだった。
その光景は江戸時代と変わらない。生活の全てにまだ江戸時代が残っていた。
習字は教師にドロリとした朱色で直されるのが嫌だった。いまでも「朱を入れる」という言葉にはゾッとする。
解説には「手習いは坂に車を押す如し」という言葉があった。
確かに15分ほど書いていると「いい感じ」になるが、気を抜くと崩れる。そして翌日になると昨日の成果はすべて消えて元に戻っている。テニスと同じだ。
でも楽しいから続けている。
書いたものを見直すと流、旅、浮、酔、魔、術、驚、陽、雲などの字が多い。
努力や精進という言葉はない。
感謝、規則、常識、こういう言葉も書かないだろうな。
摂取券が届いた。早速にネット予約。
女房のテニスサークルで人が少ないとお誘いがあり、何試合かひたすらに無駄に走り回って心臓が止まりそうだったが、全て負けた。やはり壁だけでなく人を相手にしないといけないな。