手習い

この頃は毎日、硯で墨をすって筆で遊んでいる。

七十の手習いだなと「手習い」を調べてみると「習字」と「心に浮かぶままに古歌などを書き記すこと」という意味があった。

f:id:mhorio:20220126221709p:plain

まさに俺が毎日やっていること。100%の手習いをしているわけだ。

ネット検索では江戸時代の寺小屋などの説明もある。

子どもの頃、習字と算盤を習いに行かされた。数回も行かずに止めてしまったのだが、どんな苦情や言い訳を母親に言ったのだろう?どちらの教室も畳の上に細長い座卓がズラッと並んで、土間は子供達の靴でいっぱいだった。

その光景は江戸時代と変わらない。生活の全てにまだ江戸時代が残っていた。

習字は教師にドロリとした朱色で直されるのが嫌だった。いまでも「朱を入れる」という言葉にはゾッとする。

解説には「手習いは坂に車を押す如し」という言葉があった。

確かに15分ほど書いていると「いい感じ」になるが、気を抜くと崩れる。そして翌日になると昨日の成果はすべて消えて元に戻っている。テニスと同じだ。

でも楽しいから続けている。

書いたものを見直すと流、旅、浮、酔、魔、術、驚、陽、雲などの字が多い。

努力や精進という言葉はない。

感謝、規則、常識、こういう言葉も書かないだろうな。

 

f:id:mhorio:20220126225158p:plain

摂取券が届いた。早速にネット予約。

 

f:id:mhorio:20220126225315p:plain

女房のテニスサークルで人が少ないとお誘いがあり、何試合かひたすらに無駄に走り回って心臓が止まりそうだったが、全て負けた。やはり壁だけでなく人を相手にしないといけないな。