絵が小さくなったようだ。
今日も快晴。(息子たちが来ていた間は荒れ模様だったのに)
家の中で大人しくしていられずにバイクで太田川上流へ。
広島の航空写真。南西から北東にかけて走る幾筋もの山並みは500m以上の高さがあって急峻だ。
だから市内から直線で15kmの範囲にも過疎地が存在する。
我が家からバイクで25分ほどの宇賀峡の入り口。小さなダムがある。この奥に向かう山道がずいぶん奥まで続いているので、それを走破してみようと考えたのだ。
見捨てられた廃道が増えているけれど、この道は荒んでいない。渓谷に沿ったゆるやかな登りを時速30kmぐらいで走れる。しかし、延々と続く道。自転車だったら引き返すだろう。
ずいぶんと走ったところで杉林が開け、紅葉と山桜の向こうに民家が見えた。
道楽な御仁の山荘かと思ったが、その先に数軒の農家があり、さらに進むと茅葺の民家も。人の気配は無いが時々は手入れされているようだ。
集落は7,8軒ほどとはいえ、その人口を賄う米作が可能だっただろうか?
今は杉が植林されている所に棚田があったのかもしれないけど、人が住めるとはね。
この狭い谷間で人々が働き、暮らしていた年月を想像してみる。
この1年間、ずっと地域に籠っていた。あるいは閉じ込められていた。
けれど、少し前まではそんなこと、当たり前だったんだ。
交通が発展すると、自分が居るところは世界の中心でなく片隅なのだと感じるようになる。幸福は手の届かない遥かなものに思えて来る。
茅葺の屋根はかなり傷んでいるが、雨戸が開けられていて障子紙は真新しい。
それが風でガタガタと震えるから、今にも中から誰かが出て来そうな気配がする。
穏やか陽差しと鳥の声が無かったら、かなり怖い。(午前に「キメツの刃」を読んでいたし。)
更地に立った石の門柱の傍に「高原小学校跡」の石碑。昭和五十二年とあるから、俺が広島に来た年だ。
それで思い出したことがある。
その年に我々(まだ子供は居ない)はこの道を車で走っていて、ボロいカローラと離合するときに後部をぶつけられた。車に乗っていたのは4人の老人で、その風貌が白雪姫に出て来るお爺さんたちにソックリで、「許してつかわさい」と言われたものだから、
何も言えなかった。路傍の石を拾ってトランクを開け、内側から叩くとポコっと元に戻ったので、笑って別れたのだが、夢のような出来事を今も鮮明に覚えている。
あの時の御老人達はこの村の住人だったのかもしれない。
このスーパーカブも十年になるか。
かなり感動したのだけど、それを伝えるのは難しい。その認識が本日の収穫だ。