もう一度ビデオを見る。

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21世紀初頭に普及したminimDVというビデオ規格のカセットが残っていた。

2005年に買ったビデオカメラが健在だから映像を見ることはできる。でもテープからデータに変換するにはDVケーブルでパソコンにつながなければならない。

最近のパソコンはDV端子が付いていないから10数年以上前の機種をキープしている。

よくこんなマシンで作業していたものだな、と呆れるぐらいの性能だ。

いま常用しているマックは2013年のものだが毎年2倍の性能向上があるから圧倒的な差が生じている。

だからパソコンの対応能力はせいぜい6年間。最長で10年間が限界だろう。

子供達の成長と同じようなものと言えば納得もできるが、道具としては短すぎる。

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2009年の映像記録。今の4分の1の画質で、ブヨブヨして見てられない。

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友人のコンサートに映像で参加した時の映像も見つかった。

コマ撮りやプログラミングで作っていた。もう一度やってみたいな。

 

きょうは雨だったし、喉がガラガラして体調が今ひとつだったから一歩も家を出なかった。ビデオを見直すには長い時間が必要だ。暇になったからやって見たけど面倒だ。

USBメモリを使うので中のファイルを消去したら、どっと寂しさが胸に広がった。

職場関係のファイルをもう使うことはないのだ、と考えたからだ。

長い休みがあったり、午後からの出勤だったり、事務的な仕事は帰宅後や休日にしていたりと、自分にとって職場と自宅にはそれほど差異がない。

だから自宅でゴロゴロしていてもこれまでとあまり変化はない。

「もう使わないから」仕事のファイル消去して、初めて「終わった」ことを感じたわけだ。意外だった。