消費者

コンビニの前に駐まる車が増えてきたように思える。

ちょっとした買い物をすることで日常が戻って、そこでお金を使うことは快感なのだろうな。

財布を開けたら三円だけだったという俺にはわからない世界。

でもなあ、お金を使うように仕向けられているのじゃないかな。

テレビのコマーシャルは決して必需品をアピールしているのではなくて、欲望を開拓、拡大させている。共産主義国でも同様で、これは資本主義とかどうこうではなく、大衆が豊かさを求める経済活動だ。

それにしても必要を通り越した生産と消費で環境は破滅寸前になっている。

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前々から「消費者」という言葉が気になっていた。

とても失礼な呼称ではないだろうか。人間=消費者?

消費者は英語のconsumerの訳語だろうと元の意味を辞書で見ると消費、消耗、使い果たす、衰弱する、やつれる、と否定的な意味ばかり。

なるほどねえ。消費は出発点からその結末が明示されていた。

ふーむ、と頷きながら、孫の誕生日祝いを求めて街に出る。

久しぶりの三越。普段よりも人が多い。「気の緩みが顕著であるなあ」

俺は鉄道とデパートを遊び場にして少年時代を過ごしたから、時々はその空気を吸わないとバランスが狂う。滅多に買い物はしないのだけどね。

隣の雑居ビルでLEGOユニクロの子供服を買い、俺もUV防止の夏用パーカーを買う。

「陽光に当たりすぎないこと」が治療薬の注意書きにあるからだ。

そして丸善で立ち読み。ここもかなりの人出。

美術書コーナーで長男が関わっていた芸術祭の本があった。息子の書いた文章を読む。

女房は文庫本を3冊買っていた。

例によって本屋は腰がくたくたになるところなので、我慢の限界を迎え、パーキングに直行。消費活動は疲れますね。

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本文と無関係のスケッチ、今回も失敗作であるが、学生のように真面目に描いた。

小さなハガキ絵は思い切って要素を絞らないといけないのだが、まずは虚心で観察しなければ発見がない。発見がなければ絞り込みもない。

つまり何度か描かないとダメだ、ということだが、俺は繰り返しが嫌いだ。だから成熟できない。永遠に学生。ま、それもいいか、仕方ないか。

ということで、これから自分勝手流にピアノを練習します。