秋空

昨日の千田公園の青空。午前中に血液やCTの検査を受け、この後で診断。良い話は聞けないだろうと覚悟していたら変化なくマーカーも低下していて、このまま経過を観察していきましょうということになった。

「少し緊張感を持って生きなさいよ」と天から声をかけられたようだ。

日赤の小さな図書館の棚に幾つか心惹かれるものがあった。「百年前の世界」とか「日本の路地」や「世界の路地」。懐かしい光景もある。不安定な世界情勢で、もう以前のように気楽な旅行はできないかもしれない。

これは京都の無印の本棚。ネットで調べて図書館で予約や購入希望。もっといろいろな本棚を見てみたい。

予約した本を近所の分館で受け取る。ついでに漫画も数冊。買った本はそれだけで安心していつか読もうとして読まないことがしばしば。座って読んでると居眠りしたり、立ち上がりが辛かったりするので、時々立ち読みをする。けっこう集中できる。

 

今日は体を動かそうと広域公園へ。人影まばら、というかほとんど無い。

この後、孫が通う保育園の専念寺で銀杏拾い。そして奥畑川で皮むきと洗浄。

去年の9月23日、全く同じことをしている。新しい日常か。

台風、空振りだけど

「未だかつて経験したことがないような・・・・」とか「31年前の19号台風並みの・・」というような言葉が並んで、いったいどうなるんかいな?と思っていたら何ということもない。

被害も出ているし実際に910hpという数値からも気象庁を責める人は少ないと思うけど、実際に31年前の19号台風を体験した者にとっては不満である。

今の家に引っ越して来た1ヶ月後にやって来た台風は強烈だった。周囲に家がなくてまともに南風が吹き付け、窓ガラスはたわんだ。家族を北側の洋間に寝かせて、俺と長男が2階でもしもに備えようとしていた、というか二人とも物見遊山の怖いもの見たさで内心はワクワク。でも購入したばかりの家が風で歪み、吹き飛ばされそうになるのは嫌な気分でもあった。

市内では大木が倒れたり、大きな被害が出ていた。瀬戸内の海岸線も南側は何箇所も削り取られて通行止に。

今回、そんな思い出に残るような災害がなかったことは有難いことであったが、もう少し表現に気を配ってほしいものだ。

友人のFaceBookに載った和田山駅前写真。

これを見て、50年ほど前、和田山の祭りに似顔絵のバイトで来たことを思い出した。
漫画をやってる若者と並んで描いたのだが、彼は墨でササっと記号的に描き、少しだけ特徴を付け加えてこなしていく。一方、僕の方はリアルを目指そうと凝視してジワジワ描いていく。漫画家の数倍の時間を費やして出来上がったものは沈鬱に歪んだ人影で、誰も嬉しそうな顔をしない。
幼児を描いたら梅干しみたいになって、さすがに描き直させてもらったけどムッとした母親の顔が忘れられない。
絵とは何かを考える良い体験になったが、当時の和田山は随分とにぎやかで活気があった。昼前なのに人影もない。こんな町が全国で増えている。あの時に僕が描いた幼児は今50歳代になっていて、じわじわと梅干しに近づいているのかも。

9月に誕生日が多いことは前にも書いた。我が家の孫二人と同じ月に生まれた知人の娘も他人とは思えないのでメッセージを送っている。

何となくこんなものになってしまったが、まあいいか。

絵の具を塗った紙から、貼り絵やこういう映像のパーツを作って一日を過ごす。

漫画を読んだり映画を見たり楽器を弾いたり、雨に降りこめられるといろんな事ができる。台風に感謝するべきかな?

三年ぶりの神楽

台風接近で延期かなと危ぶんだけど無事開催。家から5分ほどの弘住神社は老若男女で割り込む隙間もないほどに観客でいっぱい。

演じ手も久々の公演で気合いが入っている。今風のライブパフォーマンスも織り込まれて見事なステージ。

若い人の動きはシャープで凛々しくメイクされて美しい。照明音響も充実している。

初めて見た時の衝撃を思い出す。子供達もこれを見て育った。

広島はこうでなくっちゃね。 

台風が接近中だ。現在930hpと少し弱まってきたが「かつて経験したことがない」という近年の常套句に相等するのかどうか、少し楽しみ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

京都で動く

京都に来てから酷暑で何処にも行かず。こんな事は珍しい。体力が落ちているのかも、年相応に。
しかし、朝夕涼しくなってきた16日、意を決して出かける。
5年ほど前から「めんどくさい」気分が増大していて俺のように自分の中から噴出するのではなくて、出会いと反応で作り出してきた人間には致命的なマイナスだ。それに自転車もチューブ交換したのだから走らずしては戻れない。
嵐山を考えたが途中の殺風景と日影の少なさから却下。夕食のおかずを目当てに出町柳を目指す。
お決まりの新町通りから外れて烏丸を北上。佛光寺の手前で因幡堂の石碑。全く知らなかったが立派なお堂に参拝祈願の人が絶えない。蛸薬師や革堂に並ぶとの事だ。
そこから東洞院を上がって赤煉瓦建築が並ぶ三条を東へ。左折して寺町に入ったところに矢田地蔵。いつも通り過ぎているが引き返して覗いてみる。俺はもう暇人なのだから。

前面に火炎模様が広がるユニークな絵馬。六道珍皇寺とシンクロしている鐘。小さなお堂だが面白い。
すぐ隣の天性寺も初めて山門をくぐると、田舎町の廃寺の風情。

目的の買い物を済ませた後、御所に新しくできた展示施設を見学し復元された庭園を歩く。国は桁外れの金を持っている。

丸太町通りの画廊ウィンドウにワイルドな絵肌で描かれた骸骨を見て中へ。向こう見ずな若者かと思ったら作者は80歳のご老人。こういう表現を継続されていることには敬服するが、周囲の方や経済は大丈夫なんだろうか?お暇そうだったから画廊の方も交えてゆっくり話す。

いつもの所でこれだけの新奇に出会える。やはり京都はいいなあ、転居するかな。

京都に来た夜、いつになく早く眠気が来て熟睡。大の字になって眠っていた。

実家に帰ってリラックスしているのかな?とすると自宅ではストレス?多分、ベッドが変わると嬉しいタイプなのかも。これまで枕が変わると眠れないなんてことは無かった。

夜明けに一度目覚めて、いつものように二度寝。ここで夢を見た。

自転車で走っていてちょっと脇道にそれると古めかしい家が立ち並ぶ直線道路に出た。道を跨いで2階を繋いでいる黒々とした家屋が目立つ。

ここは何処なんだろう?と見回したら壁の向こうに大きな建物が見え、「富本駅」と古風な書体でレリーフされた額が掛かっていた。

ここで気付いたら自転車を盗まれていて、役所のような建物の内外を探し回る。

 

その日の午後、夢に出てきた自転車に乗ろうとしたら空気が漏れる。チューブに亀裂。ゴムが劣化しているので修理せずチューブ交換。駅前のヨドバシには何でもある。カメラ屋で自転車か。6階フリーWi-Fiは強力ですとレジの兄さんに教えてもらってiPadの描画ソフトを更新する。駅周辺にはフリースポットが多くなってきた。ありがたい。

昨日からケアマネジャーさん、訪問看護師さん、清掃のヘルパーさんに対面ご挨拶して雑談。ガラス戸の格子にハガキ絵がズラリと挟んであるので、皆さんが会ったこともないのに俺のことを知っている。

最近は全く描いていないけど、絵の底力、すごいものだな

次は京都

ライトボックスを使い、24枚の紙に鉛筆で数字を描いて動かしてみた。

色で分ければもっとつながりが見えたかもしれないと、いま気づく。

それにしても「動かすこと」にあまり執着を持っていないな。

年末の展示に向けて、オブジェに投影する映像を考えているのだが、動きよりも静止画の方に可能性を感じる。好きなように色を塗りたくって白いオブジェに投影する。

あまりにも幼稚だからやってる人は少ないし、最小限の機材でも作れる。

さて、今から京都へ。今回は4泊5日のショートステイだ。

各停こだまの広い車内でiPadを使って絵を描いてみよう。

9月だ

9月9日じゃないか。カレンダーの絵を描かねば、と一気に。

 

歩くのがこむら返りの予防になりそうなので、久々に直近の荒谷山に登った。

午前の順光で厳島とその前の海が鮮明に見える。石灯籠や鐘撞堂がこの視界に合わせて配置されていて、人々が自分の位置を厳島で定めていたと知れる。暮らしにはこういう座標軸が絶対に必要だ。