大型連休と言うけれど

中日の今日は、学校や病院が普通にやっていて、近所を見ている限り浮かれ出ている様子は無い。

京都の息子一家は男の子が学校からコロナをもらって来て、連休中は全員でお籠りになっていて、東京では保育園での発生でずっと休園が続いているという。

深刻さは薄れたが感染者の数は昨年よりも多いし、若年層に拡がって来ている。

ウクライナは膠着状態だし、知床の海難事故は気の毒すぎる。この先、どうなるんだろう?という不安の中での大型連休。明るいニュースが無い。

今日は歯のクリーニング。歯周病の進行を指摘される。ほとんど磨いてないからな。これから改めましょう。

近隣のニュータウンツツジが見事だと女房の知人から知らせがあり、見に行った。

整然と整備された区画に、かなり立派な家がずらりと並んでいる。裕福な人が多いんだなあ。ほとんど共稼ぎで金利も低いのだろうけど、感心する。

この後、強風の中、近所のコートでサーブ練習をしたら痛かった大腿部が治った。

夕方は友人宅でお好み焼きをご馳走になる。いろんな創意工夫がされていて女房は興味津々、とても美味しかった。おまけにそちらの庭でサクランボ狩りも楽しめて、沼田ライフを満喫、良い所です。

廃園の午後

打ち捨てられた庭の片隅で、弱い日差しの下、なに思うでもなくぼんやりと座っている。そんな時間に憧れている。

テニスで汗を流した後、天候が安定して来たので久々に近所の散歩コースに出かけて、藤やアザミなどをスケッチした場所は、農家の裏庭をはずれた、まさに廃園というべき空間だ。

一山越せばこんな所に住むこともできる。でも三日と持たないだろうな。

毎月の三日間だったらそんな午後を過ごすのも悪くないと思う。

そんな人間がこの家に30年も住んでいるのだから、いい加減なものだけど、気まぐれ暮らしに対応できる最低限が備わっていたということか。

石積みの間から伸びた樹が焚火の炎で焦げていた。

写真に撮ればこんな場所。

収納バッグで固めた電動自転車とスーパーカブが広島の足になっている。

京都で使っている自転車は指二本で持ち上がる。地形に大差あり。

いろいろあってどれも良い。(相田みつお、か?)

まあ、ともかく楽しい一日だった。

ギターの日

風雨の強い一日、一歩も外へ出ず部屋に籠りギターを弾いた。

ギター(のようなもの)は四本あり、取り替えつつブルース(みたいなもの)を弾く。

40年ほど昔に買ったバッハの無伴奏チェロソナタ、ギター版は一つとしてまともに弾けなくて、俺の人生はそういうものだったかな、と悲しくなるが、まだ終わったわけじゃない。今からでも・・・・・

音楽だけでなく、そういうまともにできなかったものがたくさんあって、それが自分の部屋にぎっしり。

一芸に専念するべしと思っても、それは70年間できなかったこと。あれこれと渡り歩いて三流芸を撒き散らすのが宿命なのだろう。

4月まとめ

四月を記号で表示してみる。

上旬の京都ではいろいろあったが、桜はたくさん見た。戻ってからは淡々とスポーツ中心に。学習はしていないな。練習も(バイオリンは特に)少ない。鯉のぼりを作った以外は絵も描いてない・・・孫が暮らしの中心になって来ている。などなど一目瞭然、こういう形も悪くない。

え、今頃? 

延び延びになっていた俺の誕生祝いということで、スパゲッティを奢ってもらった。

高校生のカップルなど、若い人の多い店で、最年少と最年長がこのテーブルだった。

 

世界最大が広島に

アルパークに大きな無印がオープンしたそうだと女房が言う。雨で出かける人も少ないだろうから行ってみることにした。

図書の返却日が迫っているので西区の図書館に寄る。

蔵書、品揃えに驚き。安佐南とぜんぜん違う。特に芸術関係は10倍ぐらい多い。子供向けの分類も良く出来ている。それに開放的でまとまった空間。

犯罪と災害と汚職の安佐南、情けない。

ところで、アルパーク周辺は駐車場に向かう車が長蛇の列を作っていて、こりゃ敬遠するべきかと思ったほど。幸い向かいの棟の7階に駐められた。

確かにとても広い。2フロアを使って多様な品々が大量に展示されている。

なるほど世界最大か。そして平日とは思えないほどの人出だ。

(開店からまだ4日目だから当然なのだろうけど)

書籍も多く古本もテーブルに並べられている。天井までぎっしりのディスプレイも威圧感はなく色面で迫って効果的。

何十種類もの香料がポンプ式で楽しめる装置。これは面白い、楽しい。

この店はデパートが撤退した後に入ったのだけど、この入れ替わりは時代の変化、新しい価値の提案力の差を感じさせる。いま市内中心部は人影もまばらだろうが、ここには次々と人が押し寄せている。数年前にオープンしたイオンアウトレットと同様に、しばらくは人の波が絶えないだろう。

ただ、百何十万人の人口圏でどこまで需要を維持できるか?(イケアも結局出店を見送っている。)そして、車に乗って郊外の大型モールで大量の買い物をするというアメリカ型の消費が、この先も続いていくかどうか。

デパートが誕生し、盛え、縮小して行った歴史ほど長くはあるまい。

世界最大を謳った売り場だが広大な売り場に無印の棚をぎっしり並べただけで、恒久的な投資はされていない。或る日、さあっと片付けて、福岡あたりに移っているなんてことは十分に考えられているはずだ。

入り口に置かれた現代彫刻?これは県北部で廃校になった小学校の部材を並べたもの。

こういうアイデアを次々に実現していく柔軟性が無印の強みだ。

デパートにはそれができなかったんだな。

こうもデパートにこだわるのは、子供の頃に再々、近所のデパートを遊び場にしていて、大きな影響を受けたからだ。なんとか起死回生、蘇ってもらいたいものだ。

初夏、松の手入れ。明日は雨?

松のみどり摘み。Youtubeで予習してから取り掛かる。松ヤニ対策でボロ着をまとったが次第に日差しが強くなり、暑くなる。工事用ヘルメットは有効だった。

午後、街に出る。祇園新道はすっかり新緑に。アストラムの日陰が嬉しい。

パルコを中心にぶらぶら。本通りの書店は壊滅。タワーレコードは売り場半減で、もう何かに出会う場所ではなくなっていた。無印で立ち読み、小物を買って帰る。

明日から数日は雨の予報だ。

夕方、ちょっとサーブ練習へ。毎日1時間を一月やればフォームが身につくかな?

筒瀬八幡神社

テニスの後、ツツジがあちこちで綺麗だというので、大きく遠回りして帰った。

太田川が蛇行する筒瀬のこの神社は、いま、工場の陰で見えなくなっているが、背後の立派な社叢がその位置を示している。

40年近く前にここで撮った写真をずっと飾っていたので、この近辺を通る度に立ち寄りたいと思っていた。

社殿に座ると昔ながらの落ち着いた光景が見える。雨上がりの新緑が美しく、とても静かだ。ここでお昼をゆっくりと食べる。

絵になる光景だ。

長年にわたって細やかに手入れされて来たところだから「絵」になる。

「手付かずの大自然」というものは、月世界のように人の営みと無縁だから、絵になるとか美醜の判断は通用しない。

だが、近年、手付かずの造形が増えてきて環境が抽象化、CG化している。

風景を見る喜びが失われたら・・・・等など考えながらのお弁当。

裏手の川岸には丸くなった石がいっぱいに広がっている。

このロケーションだ。石も堆積するはずだ。

あれから40年だ。歳も積もるはずだ。